台風19号による被害 心よりお見舞い申し上げます
ガーデンファクトリー代表の山本です、
バタバタしており記事のアップが遅くなりましたが、
まずは今回の台風で被害を受けられた方々には心よりお見舞い申し上げます。
実際に多大な被害を目のあたりにすればこれ以上言葉が出ないところです。
また私事ですが今回の災害では皆様よりのたくさんの御心配のお電話や救援などのご連絡、助力やお見舞いなどをいただきましたのでこの場を借りて心より御礼を申し上げたいかと思います。
これも実を申せば我が家も今回千曲川の堤防が決壊した箇所より6~700mほど上流部に位置するため、やはり床上浸水(床上10~20cmくらいで済みましたが)の被害にあったわけですね。
ただ今はいろいろな方々のご尽力でだいぶきれいになり、引き続き手助けを受けながら室内を片付けているところです。
というわけでちょっとこれまでのことを長々と書こうかと思います。
まず水害の翌々日にようやく許可が出て家に入った時はかなりひどいものでした。
まず家までの道がこんなでしたし、これ乗用車ではたぶん無理でしょうね。
(自分が乗っているちょっと大きめのSUVのタイヤの半分くらいまでが泥の中です)
そしていよいよ玄関を開けたら・・・「おっ!うちのフローリングが新品になってる!」 なんて思ったらきれいに泥でした(笑)
で、家に着いてぼーぜんとたたずむ自分ですが・・・・もうとりあえず一服でもするしかありませんわ、
50cmほど床面より低いガレージ内はこんな感じでしたが・・・・避難の際にブレーカを落としたためガレージを閉めたつもりが閉まっていませんでした。
それにしてもあの晩は緊急速報が立て続けで鳴ったこともあり、まあ一睡もできませんでした。
で、当日朝のNHKのニュースを見たときは目が点になり、テレビに映った家や孤立した老人ホームからもそれほど離れていない我が家ですから・・・
まあ一階は全滅・・・・・だね、なんて思ってましたが、思っていたより浸水高が少なく・・・ちょっとほっとしたわけですね。
これも決壊箇所の上流側であり、決壊した水流がいったん西側や北側に向かったことや、
家の造成の際に地盤も近隣の地盤より50cmほど高めておいたおかげで一階の床に置いてあった電化製品(買ったばかりのちょっとお利口なルンバとか)エアコンの室外機などはダメでしたが、
お湯のボイラーはなんとか無事でしたし(とりあえずお風呂に入れます)家を建てた際に一緒にアメリカから輸入した家具や娘のピアノなども足元だけが浸かったくらいで家具類はなんとか難を逃れた感じです。
こんな感じでペダルのちょっと上まで浸水しましたが、もうピアノを弾いてた娘たちも皆ヨメに行っちゃいましたんで誰も弾きませんが一応修理に出したそうです。
また今回の水害の際は流木やりんごのコンテナなどの固い浮遊物で窓ガラスが割れ、一気に家の中に泥水が入ったお宅もかなり多かったわけですが、
うちの場合は家の周囲に植えられたかなりの数の「樹木」がゴミスクリーンの役目を果たしてくれたようで、ゴミによる建物への被害や一階掃き出し窓の破損なども防げたため、室内の泥の堆積などの被害も少なくて済んだ感じです。
(最初見たときは大きなゴミやコンテナなどが樹木にツリーのようにかなりの数引っかかってましたが)
まあ緑が美しかった我が家の庭もしばらくは泥まみれとなりそうですが、来春また芽吹けば元通りのきれいな緑になるかと思います。
(水はこのあたりまで来ましたが、家の中はピアノのペダル付近ですから家や窓の機密性も大切なのかもしれませんね)
そんなわけで今回はとにかく「早めの避難の大切さ」を痛感したわけですが、台風上陸の日はもう避難勧告が出たらすぐに避難できるよう家族が準備をしてくれていました。
そして当日18:30頃常会よりこれまで始めての避難命令の連絡が来ましたので・・・
すぐにとりあえずのものを積み込み、各自の自動車に乗り避難をしたわけですが・・・・・・
やはりペットがいるため避難所には行けず、とりあえず駅前事務所に早々に避難しました。
☆チェリーさん・・・・・避難生活で初めて知ったファンヒーターがたまらないようですが、これ燃えそうです(汗)
そんななわけで・・・もちろん自分自身もこんな大事になるとは思ってもいませんでしたし、うちの近所の方もほとんどは越水した夜中まで避難をしなかったようでしたが、皆さんいよいよ逃げようと思ったら既に車が水に浸かってしまったりで・・・・
ニュースで報道されたように今回多数の方がなぜか早々に避難せず、結果的に自衛隊や消防に救助されることになったわけですね。
でもウチみたいにとっとと避難しても何もなければ次の日の笑い話ですから、要は早めの避難さえしていればあれほどの大規模な救助活動にもならなくとも済んだところです。
ちなみに
青木島工事部事務所も千曲川と犀川に挟まれているためかなり心配でした。
工事部に24時間常駐する「たろべぇ」も当日は床から1mくらいの棚の上にケージを移して事務所を後にしたわけですが、こちらは特に何事も無く無事でした。
(相変わらずおやつの時以外は無愛想なたろべぇですが 笑)
そんなわけで・・・・・
まあテレビでは見てましたが・・・今回初めてこんな当事者となり被害に遭ったわけですが、
一番感じたことは・・・・「日本人の意識もまだまだ捨てたものじゃないな」、ということでしょうかね。
これも会ったことも無い(既に退職した)妻の職場の方々や、知人の知人の親子の方とか、また4~5日目あたりからは遠くから自費で宿泊し長野に来てくれているほんとうにたくさんのボランティアの方々が泥やゴミを片付けてくれ、そしてうちの庭で打ち合わせをしていた頃の古いお客さん夫婦なども2組ほど手伝いに来てくれました。
とにかく毎日20人近くのほんといろいろな方が来ていただいたおかげで、最初ドアを開けたときには一ヶ月は掛かるであろうと思われた敷地周りの泥片付けや一階の清掃、ゴミ片づけなどが1週間ほどでメドがつきましたので、やはりまずは人海戦術しかないようです。
ひたすらまずはゴミ片付けですが昨日まで使っていたものを・・・・強制断捨離ですね、 で、これを機会に運気が上がるかもしれません。
それにしてもそれぞれ顔も知らない皆が泥だけになって我が家の後始末をしてくれ、またいろいろな方からの物資やお見舞いもいただいたりで、ほんとうに感謝の念に耐えません。
またこれはマスコミでは相変わらずほとんど報じられませんが、初期の昼夜を問わない命がけの救助と、今は地区内のあちこちでとんでもないことになっているものすごい量のゴミの山を・・・
夜間粛々と自衛隊の方々がこれを片付けてくれていたり、停電の復旧もいろいろな地域からの多大な人的応援でほんと思ったよりずっと早めに電気が戻ったことなども驚いたわけですが、
駅前事務所の前の駐車場は一時期電力会社の県外ナンバーの車で一杯でしたし、彼らは車中で仮眠して現場に向かう人もいましたので頭が下がる思いでした。
反面、今回一生懸命片付け作業をしているのに「ちょっとお話を聞かせていただいていいですか」と邪魔ばかりされたのが・・・・都会からやって来たマスコミでした。
で、彼らは駅前近辺の小奇麗なホテルに宿泊し、夜は飲みに出ている感じですから正直あまり歓迎できない気分でしたが・・・・・・
まあこれは自分も駅前事務所に一週間寝泊りしてましたから否応でも目に付きましたがね。
そして停電していて夜間は本当に真っ暗で無人になる災害地にやって来ては悪事を働く輩もいたわけですが、こういうのはやっぱり許せませんよね、バカヤローですよ、
でも本当に灯りが点かない真っ暗な夜は初めてでしたが、結構怖いものがあるわけです。
パトカーも毎晩結構な数が巡回してくれていましたが、空き巣などの被害や不審者の話も結構耳にしましたのでいろいろ緩い制度や罰則などもそろそろ考える時期に来ているかと思います。
そして今回つくづく感じましたが、
いずれにしても災害時はやはり警察、消防や自衛隊、そしてインフラを保守している方々の力が頼りですから、縁の下の力持ちでもある彼らの存在も皆がしっかりと認識して感謝をしなきゃなりません。
またこれも日本人である以上は特に自衛隊の存在そのものも当然ながら認め、今回のような大災害においての多大な貢献や尽力にも心から感謝することは・・・・
国民としてしごく当然なものと自分は感じるところです。
日本の国土に住んでいる以上、何かあれば必ず彼らのお世話になるわけですからね。
そんなわけでまだまだ18号線のアップルライン沿いに位置する穂保 津野 赤沼 そして豊野地区は当面復旧とはなりません。
たぶん年単位で復旧には時間がかかると思いますし、我が家も消毒等はやっていますが、いずれ既に依頼をしてある業者さんに床板と壁を新しくやり直してもらわねばならないわけですからこれも先の長い話です。
あとちょっと画像を載せておきます。
これは災害後5日目くらいに娘が撮影した穂保地区の正覚寺付近の市道ですがこれではどうにもなりません。
被災したどの地区でも大量の泥をまず片付けねばゴミ出しの車もお手伝いに来てくれた方々の車も置けず、どうにもならないわけですが、泥をダンプや軽トラに積み込んでも・・・・・・
搬出する場所が長野市に聞いても一向に指示されず、ただただ皆が毎日泥をそこらへんに積み上げることしか出来なかったところです。
ここは道路なんですが・・・・4~50cm泥が堆積しています。
また下の画像は津野の信号を東に曲がったところですが4~5日後でもこんな感じでした。
とにかくこのあたりから北の被害がかなり大きなものです。
ちょうど決壊箇所の真西にあたる所ですが、我が家から100mずつ北に移動するだけでもまったく違う被害状況に驚かされるところです。
この手前と奥にも7~8台の車が流されたままになっていました。
いずれにしても長野市内の被災地の復旧への大きな力添えを引き続き望むところなのですが、とにかく住人のほとんどが<後期高齢者のお年寄り>ばかりで・・・・
ただでさえこんなことになりかなり心身ともに辛いはずですから、なんとか官民問わずサポートをお願いしたいかと思います。
泥片づけでくたくたになっている(80歳近くになる)妻の叔父の画像がすべてを物語っているところです・・・・・・
そして見ず知らずの方々がボランティアで手伝ってくれています。 被災者にとっては本当に有り難い存在でした。
そんなわけで長々と今回の災害のことを書きましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。
まあ起きてしまったことは仕方ない、と思う性格ですから、悲観せずこれからのことをあまり慌てず考えながら、以前の生活に戻れるよう努力をしたいかと思うところです。
なお自分は災害後4日目より(薄情にも)会社で普通に仕事をしておりますので今のところ業務に支障はございません。
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